2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「シーシュポスの神話」を読解する12最終章

4/14訂正 いくつかの検討を見てきた私たちは、不条理から逸れ、遠ざかってゆく道をあらわにあばきだすことによって、不条理への道がどれだということをもはや知り尽くしているはずだ。けれども、梶井基次郎やドストエフスキーが私たちを偽りの世界へと騙しこ…

「シーシュポスの神話」を読解する11

4/12加筆・修正 もし神がないならば、その時ぼくが神なのだ ぼくの我意のもっとも完全なものは、ほかでもない、自分で自分を殺すことにある 俺は、自分がだれにも左右されないということと、新しい身の毛もよだつような俺の自由とをはっきりと示すために自殺…

「シーシュポスの神話」を読解する10

4/7謎の自分語りを加筆 カミュによれば、不条理とともにあって呼吸すること、不条理の教訓を承認し、その教訓を肉体のかたちで見いだすことは人を芸術創造へと向かわせる。その理由は明徹な視力をもった無関心が説明し解答することを辞めさせ、経験し記述す…

「シーシュポスの神話」を読解する9

(4/3訂正しました) 次に第二の不条理な人間の検証に映ることとしよう。演劇はあらゆる激情を万華鏡のように映し出す。それは鮮彩な生の発露する場であり、無数の運命が差出される場である。とすればそれを鑑賞することで、仮想的にではあれ可能なものの領…