映画「白夜」(1957)

 

 

白夜(1957) (字幕版)

白夜(1957) (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 映画では30半ばのように見えるが、原作において語り手は26歳の青年であるため、同じく若き青年の失恋と苦い青春を描いた、ツルゲーネフ「はつ恋」やプーシキン「オネーギン」と連ねて考えてみよう。これらの小説が生み出す独特の感傷は、明らかに、かけがえのない女性の愛を手に入れそこねた喪失感に向けられたものではない。そうではなく、喪失された女性の人となり、心性、心理をなにひとつ理解できないまま女性がみずから去っていったこと、そして自分の預かり知らぬところで女性がその価値をまばゆく放っていたという暴露がわれわれを狼狽えさせ、独りよがりな悲しみの淵に追いやる。ここで喪失されたものは女性の愛ではなく、その幻影である。そして、思い出される喪失は現実的な価値や可能性を含んだものではなく、ぽっかりと空いた価値の空白そのものである。というのも、夢想として砕け散った愛を思い出すとき、それは痛々しい思い上がりに腐蝕されており、過去を顧みるたびに見いだされるのは、有頂天のさなかでの束の間の高揚に彩られた自身の滑稽な戯画だけだからだ。このとき、女性の愛は過去を思い起こそうとする思考の射程のはるか消失点へと遠ざかり、温かみに満ちた恩寵をその虚ろな不在としてしか思い出すことができない。失っていることに気づいていなければ苦しみを味わうこともなかっただろうが、失ったことのないものもまた、その途方もない空洞によってわれわれをどん底へ責めさいなむ。

喪失したことのないものの喪失感、痛みを感じなかったことへの痛み、思い出すことのできない記憶がこれらの感傷を構成する。永遠に失われたものであるがゆえに、その不在もまた永遠の美しさを保ち、これを青春と呼ぶ。

はつ恋 (新潮文庫)

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オネーギン (岩波文庫 赤604-1)

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