映画「パラサイト」 リビングのイメージ

 

高級住宅街の一角にあり、建築家ナムグンの設計した豪邸には3つの階級の人間が暮らしている。屋敷の主人として君臨しその暮らしを気ままに享受する者、主人のおこぼれに与りながら召使いとして影のように生きる者、そして、まるで目に見えない幽霊のように霞を食って地下に生きる者たちである。庭の景色を楽しめるように意匠を凝らしたリビングで家族水入らずのときを過ごすことができるのは屋敷の主人だけであり、影のように生きる者や地下室の住人が這い出して来てリビングでくつろげるのは、主人がつかの間不在となったときだけだ。

この映画の舞台となっている豪邸、そして1階にある優雅なリビングとは韓国社会の縮図である。それは家族の団らん、満ち足りた暮らしを提供するために精妙に設計されたものでありながら、主人・召使い・地下室の住人という酷烈な格差を生み出し、そしてそれぞれの階級を担う者はたやすく入れ替わる。召使いの階級は主人に奉仕し仕事を与えてもらうことで膨大な資産の分け前に与ることができる。一方で、地下室は屋敷の設計の正当な一部でありながら、みっともない不名誉のごとくひた隠しにされている。そこに住む住人は主人にとって「幽霊」のように透明な存在でしかなく、それゆえにおこぼれに与ることもままならない。いずれにせよ、屋敷におけるかれらの地位はつねに脆弱で儚く、なにか正当な根拠に基づいているわけでもない。ムングァンの夫のようにリビングと地下室のあいだを往復するものもいれば、キム・ギテクのように召使いの階級から地下室の住人へとあっさり転落する者もいる。そしてこのことは屋敷の正当な所有者であるパク一家でさえ例外でなく、別の入居者によってかれらの後釜は容易に埋められるものなのだ。

映画の中盤において、主人(パク一家)・召使い(キム一家)・地下室の住人(ムングァン夫婦)が三者三様にリビングでの家族団らんを楽しむ場面が描かれている。それぞれが家族の会話を楽しみ、互いを慈しむさまに優劣はない。だが、かれらが優雅なリビングでくつろいでいるあいだは、別の家族は召使いの地位に甘んじて「ゴキブリ」のように目の届かないところに隠れるか、さもなければ「幽霊」のように地下室に閉じ込められていなければならない。高名な建築家の手による屋敷は、三つの家族が同時にリビングを楽しむようにはできておらず、誰かがリビングで主人となるとき、必然的に別の誰かが召使いとなり地下室の住人となる。この意味で、キム一家が召使いとなって主人であるパク一家の資産に寄生するのと同じ程度に、パク一家の暮らしはキム一家やムングァン夫婦の犠牲に寄生している。「パラサイト」とは、単にキム一家を指しているのではなく、格差と犠牲を生み出すリビングを取り巻く残酷な構造であり、そしてそれは韓国社会の宿痾そのものである。

この映画の筋書きが荒唐無稽に見えるとしたら、それは国という同じ屋根の下に住む者たち同士でありながら、分断と対立に彩られた韓国の格差社会が荒唐無稽だからである。いつか遠くない未来、主人と地下室の住人が同じ屋根の下で同じ家族となる日、地下室の住人がリビングへ「ただ階段を上がって」来るだけで迎えられる日を誰しも望んでいる。