- 作者: ジェイン・オースティン,中野康司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/10/05
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
文学と、それを読むわれわれのナイーブさが結託するとき、この密約は社会的な次元において読み替えられて、文学が社会の中で与えられた機能にわれわれ自身もまた組みこまれることになる。どうやら、オースティンの受容について考えるには、19世紀後半におけるイギリスの社会状況と、文学に対して課せられていた要請というものを避けて通るわけにはいかないようだ。テリー・イーグルトンは、その著書「文学とは何か」において、19世紀における英文学を取り巻く状況を明快に描いている。その主旨を以下に要約してみよう。
強大なイデオロギー形式としての宗教が、情動的かつ経験的なものとして社会のあらゆる階層の人々に対してもっていた影響力は、ヴィクトリア時代の中盤にはすでに、科学の急速な進展と社会変化ともに消え失せようとしていた。「英語英文学」が19世紀後半になって急激な発達を遂げたのは、宗教が担っていたイデオロギー的使命を肩代わりするようなものとして、当時の支配階級が白羽の矢を立てたからである。それは、新たな敬虔のかたちとして、激しく動揺している階級社会をひとつに溶接し、単一の組織体として包みこむことのできる情動的価値観や神話体系を供給するものとされた。文学は、生き生きとした劇的な再現を通して、個人の直接的な感性や経験に訴えることで、人びとの欲望を満足させるばかりでなく、微妙なニュアンスに富んだ道徳的な価値というものを、情緒的・感覚的な形式で伝達させることができる。平たく言えば、文学によって、実利的で知性を欠いた中産階級の狭小と粗野が和らげられ、かれらに従順さ、自己犠牲、瞑想的で内向的な生活を育ませるばかりでなく、貴族階級の伝統的なスタイルのいくつかを注入させることさえできると期待されたのである。事実、「英語英文学」は、社会階層間の連帯、豊かな協調精神の育成、国民としての自負心の普及と合わせて、道徳的価値の伝達をみずからの重要な使命のひとつに位置づけたのだった。それは情緒と経験に訴えかけるがゆえに、道徳・モラルというものを、過去においてそうであったような、定式化された規範ないし明確な価値体系としてとらえることから徹底して回避し、純粋に感覚的な存在へと祭りあげることに全力を尽くした。そのリベラルな見かけとは裏腹に、階級社会や人種間の階梯といった信念とイデオロギーの真偽はいっさい重要とはされず、そうした信念をどのように感ずるかだけに射程がしぼられた。
イーグルトンの結論にしたがえば、オースティンが英文学の地図における「一級河川」として名を連ねることになったのは、宗教に代わって社会のあらゆる階級の人間の道徳意識に対して情動的・情緒的にはたらきかける、道徳的イデオロギーそのものの役割を嘱託されたからだ。重要なのは、階級社会の困難や是非ではなく、エマというアッパーミドルにあるひとりの女性が、階級社会の実質がどこにあるかを見定め、思弁的ではなく実践的に、どのようにしてそこに参画していくかである。同様にして、美徳の内実は、ロマの人々の困窮と被差別の解決ではなく、寄ってたかって物乞いをする彼らを前にして、フランク・チャーチルという個人がどのようにして毅然と追い払うかということにすり替えられる。「分別」はあくまで感性と直観のうちにとどまり、階級制度と内面的価値を秤にかけて吟味することはしない。もしそんな大それたことをすれば、栄光ある「英語英文学」の一員から追放されていたことだろう。