後藤明生「挾み撃ち」

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

敗戦前の日本領北朝鮮に生まれ、戦後に九州に引き揚げた「わたし」は、大学受験のため上京することになる。そのときに着ていた旧陸軍の外套をめぐり、初上京からさらに20年後の「わたし」は御茶ノ水駅の橋の上で人を待ちながら、脱線した思惟とともに当時の記憶をよみがえらせる。戦前におぼろげに抱いていた軍人への憧れと、戦後への適応に挾み撃ちされたときの屈託として外套はあった。それをどこで手に入れたのか、20年前にどこでなくしたのか、なぜ20年後の今になって思い出したのか、という核心が語られることはついにない。このことは、「わたし」という個人の遍歴が、とつぜんの時代状況に絶えず翻弄されてきたことと対応している。今となっては、「わたし」は「わたし」を一望のもとに眺め渡して歴史的な高みから語ることはできないのであり、それは実のところ、つねにそうだったのである。
「わたし」の遍歴と同じように、外套もまた、語りを拒むものとして小説の消失点に位置づけられる。だが、語ろうとする意志から逃れる外部性を、より純粋かつ表徴的な形式とともに保っていた外套は、それゆえに「わたし」の道程に歩み寄るときの道標となってくれた。それは、起源が不明の、不連続な、行方のしれない、「わたし」に属していながら、「わたし」そのものではない、しかし「わたし」の時間的な持続が刻まれた、たしかに「わたし」を指し示す象形文字である。ゆえに、「わたし」についての語りとは、シンボルと「わたし」が交錯する表象のうねりから取り出された形式の同一性を語ることであり、外套を依り代とすることによって、初めて語りはそのよすがを手に入れたと言える。これに関連して、巻末の解説にて武田信明はこう述べている。

外套探索譚は何とか作品の軸線たらんと懸命の擬態を試みている言わば「まがいもの」のシンタックスなのであると。だからといって、隠れた真のシンタックスが作品を統括しているというわけではない。そんなものは存在しないのだ。

精確には、語りの発端を外套探索譚に見せかけることが語ることの他ならぬ条件なのだ。外套にことよせて語る身振りをとることによってのみ、自己自身への巡礼の道が通じるというわけである。米軍民警の制服ではなしに、「裾も、袖もダブダブ」の、まるで身の丈に合わず、亡父の将校用のものでもない、どこの誰が着ていたのかもしれない兵卒用の外套を、まさに自分が選んだ外套として見立てること。それと同じように、ここにあるのは、自己の来由への遡行を外套探索として見立て、その重ねあわせから濾過されたエピソードの断片を内部へ呼びこもうとする精神の営みである。だからこの作品においては、通常の自伝小説のような時間的・空間的な連続性や揺ぎない一貫した語り手というものは存立しえない。語りは自身の犯したなかば作為的な取りちがえにおびやかされるとともに、揺れ動く表象の波間によって不意の寸断や迂回を許すことになる。
「わたし」を挟撃し、ときとして踏みとどまらせ凍りつかせる、もろもろの対立や差異のモチーフのくり返しとは、したがって単に語りの内容を示唆するものではない。つまり、解読によって個人の来歴や内面が解明されるような、起源と連続性を証だてる秘密めいた「象徴体系」なのではない。そうではなく、「挾み撃ち」とは、ちょうど寄せては砕ける波が浜に描く砂紋のように、彼岸の向こう側に消え失せた語りえないものをたぐり寄せようとする、思考の絶え間ない試みが「言説上に露呈」したひとつの形式なのである。外套や「わたし」と同じように、時間の矢が再び枠外の消失点へと追いやってしまうような、語りの痕跡とでも呼ぶべきものと言えよう。