シュリンク「朗読者」

朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

これは小説というより、学校や講演会といった場所で読み上げられ、ある定められた課題やめあてに従って儀礼的な検討に付されることを推奨されるような教科書に思える。いわば読書感想文コンクールで「良識的な」ねらいのもと、いの一番で選定されるような課題図書である。そのことは小説自体の評価とはまた別の問題であるはずだが、この小説がその啓蒙的な筆致によってそうした取り扱われ方を拒むどころか、期待し追認しているとすればどうだろうか。教科書には教科書なりの良さがあるには違いない。しかし、その良さというものは経験の衝迫を水で薄められて周到にはぐらかされた、無害な、無臭の、最大公約数的な良さにすぎない。というのも、この物語は語らないこと、語ることの不能性をかくもやすやすと語った後でそれを封印してしまっているからだ。ここではハンナの心情はブラックボックスになり、丁寧に包装されてこれみよがしに陳列されている。そして書き手は次にこう告白する。箱の中身はああであったかもしれないし、こうであったかもしれない、でもけっきょくは開けてみないと分からないよ、と。ところが、その身振りがすでに作為に準備されたものなので、書くことを可能にする世界との原初的な体験は水平線の彼方に浮かぶひとつの疑問符にしかなっていない。文学が書字の手前で痙攣する足踏み、一種の身体のこわばりの記述であるとするなら、この物語は足を宙に上げたまま静止する格好の立ち絵に喩えられる。微動だにしないその姿勢に躊躇がないほど、筆致は模写のそれに近づく。この物語を課題図書的と呼ぶゆえんである。

だが、この所感もやはり意識の保留としてその手前に停止させられるべきものではある。現実を統一的に語るときにはいつも指のあいだから別の現実が逃れでてゆく。読書経験もまたそのひとつだ。