中川淳一郎「ウェブを炎上させるイタい人たち」


著者は「ウェブはバカと暇人のもの」でわりと名を知られた中川淳一郎。「ウェブはバカと暇人のもの」「今ウェブは退化中ですが、何か?」に続く、「ネット叩き」第三弾となる書籍であり、ネットがバカと暇人の巣食う「居酒屋」に過ぎないことを強調する路線は一貫している。本書では主に2009年に勃発したウェブ炎上に焦点を当てており、そこが新書らしい情報の新鮮さを伝えていよう。例えば、蓮舫マジコン疑惑などのツイッター騒動や吉本ばななのエッセイを巡るアマゾン書評祭りが取り上げられており、その背後にある便乗者の屈折した心理を再三確認していくことで、彼らのアホさ加減を読者に気づかせていくという体裁を取っている。そうであるからには、この書籍は祭りを快く思わない人たちが溜飲を下げるためだけの鬱憤晴らしという位置づけにもなりそうだが、その中で「ネット側の人間」たる著者の危機意識も込められているのが面白い。つまり、ネットというオモチャに没頭している自分を含めた多くの人々の「残念さ」を強調する形で、そんな彼らに気の抜けた諦めとおどけた戒めが半々に入り交じった視線をよこしているのだ。視線の先には二種類の人間がいる。一つは、ネットの未知の可能性に対して過剰に期待するあまり、「ツール礼賛」から引き下がれなくなってしまった「ネット教信者」、そしてもう一つが、事あるごとにわけのわからん大義名分を担いできては落ち度のある相手を叩きまくる「ただの暇人」。著者はネットという「残念な」ところで働くロスジェネ世代の一人として、ウェブ2.0なるファンタジーを未だにほざいている同世代の「ネット教信者」を懸命に教え諭そうとしているわけだ。そして最後は、ネットに埋没する無数の凡人どもに向けて「ネットは誰にでも平等だが、才能には平等ではない」と喝破し、健全な交流に溢れた「リアル世界」に立ち戻ることを提案して本書は終わる。

題にもある「イタい人たち」ということで、主旨はやはりネット上の「叩き」とそのいなし方にあるのだろうが、アマゾンの書評やはてなに書かれた感想を読めば推測できる通り、この新書の正当な評価はちょっと難しいかもしれない。炎上や祭りに極端な嫌悪を示す人は、内容をろくに吟味もせずに諸手を挙げて歓迎するだろうし、かたや熱心なネット愛好家は、痛いところを突かれた気がしてたけり狂ってしまうおそれがある。実際、ググッてみても自分たちのクラスタに閉じこもっただけの表層的な感想しか見つからず、そこが私には「残念」なのである。あるいは、本書が「ウェブはバカと暇人のもの」の焼き直しに過ぎないゆえに、改めて検討する価値が大して無いという至極単純な理由があるのかもしれないが、だとしても炎上事件に対する筆者の立ち位置があまり客観的に語られていないのはもったいないことだ。そこで、本書で同時に展開されているような、争論の種になりやすい世代論的な主張や恣意的なモデルの検討はひとまず置いといて、このレビューではウェブ炎上への著者の態度についてちょっくら考えてみよう。

「叩き」の裏にある歪曲した心理の指摘や、そんな「バカと暇人」に対する教諭は、祭りや炎上に興じる彼らに果たして通じるのか。結論からいうと、まったくもって馬耳東風に終わるだけである。その自明さといったら、通じると思っている方が「バカと暇人」なのだと言っていいくらいだ。なぜそこまで断言できるのかというと、取りも直さず彼らが、説教されれば我に返るような単細胞のバカではなく、自分がバカであることを知っているバカだからである。実際に確認すれば、それが不明瞭な印象論ではないことがすぐ分かる。ここはひとつ、「残念な」ネットの真骨頂であろう、ニュー速の空気を検討してみよう。なんとなれば、ニュー速における模範的な姿勢には、まさしく「バカと暇人」の論理がこれでもかというほどに凝縮されているのだ。


例1


例2

470 名前: ヒヤシンス(コネチカット州) 投稿日:2009/04/15(水) 01:38:56.65 ID:ilJquxac
こんなことをしてもおまえらの失われた青春は戻ってこないよ


562 名前: マツバウンラン(千葉県)[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 01:40:19.90 ID:uksXaR3a
>>470
誰かの青春を奪うことはできるよ!


722 名前: ウシハコベ(東京都) 投稿日:2009/04/15(水) 01:42:45.62 id:IoGvd+U1
>>562
名言
まちがいなく名言


941 名前: マーガレットタンポポ(福岡県) 投稿日:2009/04/15(水) 01:46:30.21 ID:krmeg9K/
>>562
よく言った。 全力でいくぞ!


944 名前: ローダンゼ(香川県) 投稿日:2009/04/15(水) 01:46:31.37 id:Sn5Kr1G8
>>562
ν速民の鑑だな、屑すぎるw


道義や倫理に著しく反した、こうした在り方は誰の目にも腐れ外道でしかないし、そんな彼らをウジのように嫌う人の心情も十分に理解はできる。しかしニュー速民にとっては、自分たちの「屑すぎる」態度が小ぎれいな正論や道徳的な説教によって全否定されることはすでにある種織り込み済みのことなのであり、このことは彼らの黙契とも言えるような連帯感を生み出している。醜く歪んだメシウマ状態のやる夫の表情は、自分自身の喜びを見出せない空虚を、「不幸せな人」を見下ろす束の間の安心感に接続する心理の象徴である。それをわざわざAAという形でご丁寧に視覚化し、さらに彼らがそれを日々コピペしている事実は、彼らが自分たちの醜悪さを認容し、しかもそんな自己像にまったく嫌悪感を抱いていないということを意味する。また、「誰かの青春を奪うことはできるよ!」という宣言が、その裏で「おまえらの失われた青春は戻ってこない」という警句の受容もまた含んでいることに注意してほしい。レスに対する熱い称揚は、自分がからっぽだからこそ他人の幸せは奪わなければならないというニュー速民の理想像が共有されたときの高揚に満ちた連帯感に支えられている。まとめると、第三者がニュー速民の奇形の心理を弾劾したところで、自分たちの低俗さに完璧に開き直り、あまつさえ、率先して「屑すぎるw」という自嘲に楽しむ余裕さえ見せる彼らにしてみれば、それは周回遅れのトンチンカンな批判でしかないのであり、要は「マジレスカッコ悪」くて「はいはいわろすわろす」なわけである。祭りにしろ炎上にしろ背後の論理は同じことで、自己否定を自分に織り込むことで彼らは原理上いかなる批判にも疼痛を感じない。そうした巧妙な厚顔さを捉え損なったばかりに、クラスタ同士の不毛な対立に陥るだけになった批判も多く見受けられる。たとえニュー速民の「からっぽさ」を正面から糾弾したところで、無敵の彼らの前には、論理は相対化された挙句に罵倒され嘲笑されるだけだ。
話が逸れることを覚悟でもう一歩踏み込むと、この空間を支配する原理は相対主義的なシニシズムではあっても、決して無自覚的なスノビズムではない。「なんとなく、クリスタル」のように、ファッション的に「なんとなく、割れ厨晒しage祭り」で成立していると思ったら大間違いで、炎上の奥底では切羽詰った焦燥が秘かに彼らを牽引している。物語に仮借ない熱情を見出すことを信念と呼ぶならば、彼らは明らかに、喪失した青春を奪い返す復讐劇に信念を抱いており、その共有が祭りとして全能感を起爆させるのだ。したがって、転化の器用さや論理の内部化という点では彼らの機制は愚鈍でもないのだろうが、まあやってることがこの上なくアホらしいことに変わりはない。
さて、こうしたややこしい事情を抜粋して勘案してみるだけでも、彼らに対する道義的な弾劾はまず意味がないと言っていい。内面の道徳や倫理まで法律で規制するわけにはいかない以上、「バカと暇人」が多ければ多いほど、ネットは必然的に混沌としたただの「残念な」場所になるわけで、そんな世紀末的じみた世界に個人の正義を持ち込んでも結局キリがないのである。だったらもう「勝手にしてくれ」と言わんばかりに彼らを突き放して「ネットなんてロクなもんじゃねえ」とため息つくしかないだろう。明らかに著者は、ニュー速民に代表されるこうした「バカと暇人」の救い難さを十分にわきまえている。そして、だからこそネットに過度の期待や大義名分じみた憤りを見せずに冷静に傍観できるのだろう。本書においても、その「気の抜けた諦めとおどけた戒め」は、半ば独り言のようにぼそっと漏らされるだけで、凝った使命感や落胆といったものは特に見られない。諦観するごとくに終始冷めている。情報検索としてのネットは確かに便利なツールだけれども、ちょっと潜ってみれば祭りあり炎上ありのとんでもなくアホなところなのであり、もはやそれは総体として認めなければならない。ならば気に食わないところは無視してツールとしての面だけをうまいこと使うことで、リアル生活の充実を図った方が賢いんじゃね? というのが著者の主張であり、それは押しつけでも何でもない、ただの反省であり感想だ。それだけに、クラスタ同士の無意味な闘争から「いちぬけぴ」した彼のつぶやきは一つの真理を伝えており、なるほど説得力がある。リアル生活よりもニュー速に生きていることに充実を感じることは、ここでは否定されない。メシウマしたければしていればいいし、「屑すぎるw」と平和に自嘲していてもいいけれど、そんな人はやっぱり「バカと暇人」なのであり、バカにつける薬はないのである。