「シーシュポスの神話」を読解する8

 論証は終わり、章は「不条理な人間」に移る。カミュはこの章で、「不条理な論証」で引き出した人間像、すなわち自己を汲みつくすことだけをめざす人びと、あるいは自己を汲みつくしていると彼の考える人びとを例として検証していく。私の導出した理想の人間像を先ほど書いてしまったためにちょっと順序が入り組んでしまって申し訳ないが、要するにここからは「いっさいは許されている」の精神を体現し、もっとも多く生きているとカミュに感じさせる人間について述べていくわけである。なお、これ以降名文学の数々が取り扱われることになるが、恥ずかしながら私がそれらの文学を全て読んだわけではないことを告白しておく。では例証を始めよう。まずはドン・ファンであるがその前に念のため彼の概略を記しておく。

ドン・ファンDon Juan)は、17世紀スペインの伝説上の放蕩児、ドン・フアン・テノーリオ(Don Juan Tenorio)のことで、プレイボーイの代名詞として使われる。フランス語ではドン・ジュアン、イタリア語ではドン・ジョヴァンニと呼ばれる。元になった伝説は簡単なもので、プレイボーイの貴族ドン・フアンが、貴族の娘を誘惑し、その父親(ドン・フェルナンド)を殺した。その後、墓場でドン・フェルナンドの石像の側を通りかかったとき彼の幽霊に出会い、戯れに宴会に招待したところ、本当に石像が現れ、大混乱になったところで、石像に地獄に引き込まれる。 これまでは、女性を愚弄し、情熱的だが狡猾な面を見せるドンファン像が多く描かれてきた*1

ご存知の通り、彼は女性をとっかえひっかえ相手にし、ひいては許婚のいる女性を二人も寝取ってしまうという正真正銘の不埒者である。単に性欲を持て余しているだけとも思われるだろうが、「とうとうあなたに本当の愛をさしあげましたわ」(p.124)という女性の言に対する返答がそれを否定している。「とうとう、だって? とんでもない。一回ふえたまでさ」(p.124)。ドンファンは女性を愛することに生きる悦びを見いだすがために自己を捧げ、そのようにして愛を深く窮める(p.124)行為を繰り返す。そして女性を次から次へと取り換えるのにもわけがある。

かれがひとりの女からはなれるのは、その女をもはや欲しないからでは断じてない。美しい女はつねに欲望をそそるものだ。かれがひとりの女からはなれるのは、もうひとりの女を欲しているからだ。そう、これは決して同じことではない。(p.126)

森本哲郎は「生き方の研究」という著作において「シーシュポスの神話」のこのくだりを引用してあろうことか「ドンファンはひとりの女を、ではなく、すべての女を、女性そのものを全身全霊をあげて愛した」と解釈する。馬鹿を言ってはいけない。彼は常に目の前の女性への愛を汲みつくす。そのためにどうしてひとりの女だけに固執する必要があろうか。それも、たっぷりと愛するためには愛する度合いをすくなくしなければならぬ理由(p.124)などどこにもないにも関わらず、だ。彼の愛が説明されるにはそれだけで十分だったのだ。では、彼は愛というひとつの感情を追い求める信仰高き求道者であろうか? それも違う。全的な献身と自己自身の忘却(p.130)で以て愛に情熱を燃やすのはむしろウェルテルこそがふさわしい。その愛ありきの隷従的な姿勢は、自分の個人としての生き方に完全に背を向けてしま(p.130)っている点でまさにドンファンと対極にある。また、ドンファンはその明晰さによって自分の魂を楽しませるすべを知っていた点で、享楽を貪ることと引き換えに魂の屈従させる契約をメフィストと交わしたファウストとも一線を画さなくてはならぬまい。ファウストは哲学、法学、医学、神学の四学部全てにおいて学問を究めた識者ではあったけれども、自らの喜びさえ知らなかった暗愚な男である。だから彼は結末に罪の意識に苛まれて絶望し、"O, wär’ ich nie geboren!"(おお、私など生まれてこなければ良かった!)と嘆くしかなかった。だが、罪だと? モリーナの《色事師》は地獄落ちの脅迫に対していつもこう答える、「俺に長い猶予期間をくれてるじゃないか!」(p.126)。そうだ、罰を与えられずに生きているというまさにそのことによって、彼らは自らの無罪性(p.134)を深く確信している。無罪であるからには何も恐れることはなく、そうして彼らはとことん生を楽しむのである。しかし、ここで論理の転換と同時にある一つの留保を付け加える必要があろう。17世紀のスペインといえば異端審問や非キリスト教徒の迫害まで行った筋金入りのカトリック国であり、彼が自らの罪深い(とされる)行為を自覚しなかったはずがない。無罪性に対してはこれっぽちも疑うことのなかったドンファンではあっても、やはり野放図な反徳を自己認識せざるを得なかったのであり、その明徹な思考であれば教会から刑罰を命じられたり凶刃に倒れる危険性も見据えていたに違いない。それでも彼はなお不道徳を繰り返した。これは一体どういうことだろうか――つまり、彼は運命を覚悟していたに他ならぬ。

ドン・ファンの垣間見るこの宇宙のなかには、嘲笑もまた含まれているのだ。懲らしめられるのは当然だとかれは思っていよう。(p.133)

実際、史実でも彼は修道士の手により殺害されており、また数々の作品においては落雷に命を落としたり石像に呪い殺されたりと、まるで予定調和のごとく自らの背徳を贖うかのような教訓的最期を与えられている。それはカトリック社会において確かに論理的帰結(p.135)ではあったが、同時にドンファンにとっても論理的帰結であった。愛を深く窮める行為をおこなうとき、彼は明日のない歓びのほうへとひたすら向った人間の荒々しい終末(p.136)、そしてじっと待ちうけてはいたが、けっして願っていたわけではない最後の結末(p.136)を愛の延長に看取していたのだ。
 覚悟ともある種の予感ともとれるドンファンのこうした澄明なまなざしを発見するとき、日本人である私は「源氏物語」につきまとう「あはれ」の詩情を想い起こさずにはいられない。源氏物語成立当時は末法思想が猖獗を極め、貴族らは厭世主義に囚われていたものの、その実態は、若い時分は享楽を気ままに甘受し、栄華に陰りが見え始めると穢れを取り払う意味でとっとと仏門に入るという、この上なく手前勝手なライフコース(笑)が流行していたと言える。しかし私には、彼らがいとも簡単に来世に希望を捏造してしまうような浅薄な快楽主義者だとはとても思えないのだ。日本のドンファン光源氏はその多彩な女性遍歴と境遇の軌跡の中でしばしば諸行無常の虚しさに浸っている。それは難解な仏教思想に由来するありきたりな虚無主義ではなく、人生で培ってきた権勢や愛の全てが手から零れおちてゆく末期への強い察知ではなかったか。17世紀のスペインを取り巻くカトリックの厳格な雰囲気がドンファン神罰を予感させたように、11世紀の日本に蔓延したデカダン的な末法思想光源氏に有為転変と因果応報の哀惜に塗れた晩年を直観させたのではないか。源氏はその直観のただ中にあって、徐々に強くなる運命への確信とともに女性を求め続ける。だから、女三宮の密通と婚外子の誕生の折にも彼はその事実を深々と認め、生まれた子という残響を誠実に受け入れることができるのだ。こうして、二人のドンファンの誇り高きながらも憂愁に満ちた生が見事に調和していく。


桜こそ思ひ知らすれ咲き匂ふ花も紅葉も常ならぬ世を*2


もはや確信犯などという安っぽい言葉では到底言い表せまい。彼らは行為によってその身に起こるあらゆる出来事をその透徹な視線で感知し、付随するあらゆることを甘受するのは覚悟の上だった。一つの熱情をもって人間の喜びに邁進するとき、そこには不純物を許さない熱い純粋さと行為の残響を受け止める冷徹な意識が宿っていたのだ。「いっさいは許されている」からこそ、彼らはそうして心おきなく愛を深く窮め、それによってとことん自己を汲みつくす。これはまさしく不条理な人間だ。