スタンダール「赤と黒」

赤と黒(上) (新潮文庫)

赤と黒(上) (新潮文庫)


当時の歴史的状況を捕捉せんとし、かつそこに束縛された小説でありながら、どうしてここまで人間の心理を鋭くとらえることができるのだろう。とめどない野心から抽き出された高慢な精神にとりつかれた青年の、権威への憧憬と侮蔑の心情の狭間に呻吟する姿を描いた見事な青春小説である。権威主義は、いたずらに自意識を肥大させた若者にありがちの、中風にかかった自尊心の変奏としてはたらく。それへの二律背反する愛憎の執着は、たとえ自家中毒を起こそうと止むことはない。そして、世にも高邁な詩情と見分けがつかなくなった自己欺瞞(=自己規定)への情熱が彼を前後不覚の陶酔の極致へと引きずりこみ、一介の気狂いピエロに堕在させるまでその精神をむしばむ――。これがとある石工の息子の奇異な人生とそれゆえの破滅にすぎないと誰が言えるのか。古今東西変りなく、青春の蹉跌とはまさにここにあるではないか。
そんなわけで、個人的にはドストエフスキーの長編よりもずっと得るものがあった。この小説についてもっと多くのことを語りたいのだけれど、残念ながらそれほどの気力がないのでとりあえずこれだけ。