カルヴィーノ「見えない都市」

庭、灰/見えない都市 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

庭、灰/見えない都市 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集2)

突拍子も無いような幻想都市の数々をマルコ・ポーロフビライ汗に語り伝える。空中都市、無形都市、日々生まれ変わる都市――。奇想天外な、眩惑させられるような幾多の都は実在するのか、ポーロの口から出まかせに過ぎないのではないか・・・・・・? 実のところ、そんなことはまったく問題にならない。存在と認識は、一方が他方を鋭く先取りすることもあれば、他方が一方を鮮やかに照らし出すこともある。両者はめくるめく円環をなして留まるところを知らない。人生が胡蝶の夢だとして、それを確かめに行くことにどれほどの意味があるだろうか。ここで私は「狭き門」(ジッド)のある一節を思い出すのである。

――或る日、僕はアリサに、旅行がしたくないかと尋ねた。するとアリサは答えた。なんにもしたいことはない、いろいろな国があって、それがみんな美しくって、誰でもそこへ行くことができるということを知るだけでたくさんだって・・・・・・

ピューリタニズムの信仰の純正にあくまで拘るアリサにとって、ちょうどカルヴィーノが都市の認識形式として挙げた「欲望」「記憶」「記号」「眼差」という意識へのくすぐりによって想像の都市がまるで実際にそこへ訪れたかのような鮮明さを細密に建築するように、神とその周縁概念の甘美な連環がそれ自体で計り知れぬ高みをもたらすものであったのだ。こうして、存在の極致は「不在」に描かれることになる。存在と認識がそうであるように、存在と不在もまた、象嵌細工を思わせる内部の高貴な聯関のきらびやかな構造を形作る。その操作と戯れに熟知したポーロとフビライの語らいは、碧水の水中庭園に浮かばせた舟に寝そべる静謐な安らぎを感じさせる。快いまどろみの中で、かれらは夢幻都市のあいだを自由に見聞するのである。