トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」

信号とは、じつは無価値なかす、世俗的な予告であって、発作中に啓示されたものとは無関係である。エディパは、これが終わったとき(終わるものだとして)、自分にも残っているものは手掛かり、予告、暗示などの記憶の寄せ集めだけで、中心にある真実そのものが残ることはないのではないかと思った。中心にある真実は、なぜか、いつ出現しても明る過ぎて記憶に堪えない。いつだってパッと燃えあがって、そのメッセージを復元できないように破壊してしまい、日常的な世界が戻ってきたときに残っているのは露出過度のための空白だけ、ということになるのではないか。

カリフォルニア州キナレットに住むエディパは、ある日、元愛人であった大富豪ピアス・インヴェラリティの遺言管理執行人に指名される。彼女は、遺産の調査中に出くわす事件のそこここに、中世以来存続するという闇の反体制組織<ザ・トライステロ>が実在する証拠を見出し、次第に、この世界の裏側に潜む、《秘密の豊かさ、隠された濃密度の夢の世界》をパラノイア的に紡ぎ出していく。だが、それが亡きピアスが自分に仕掛けた大掛かりな芝居であり、<ザ・トライステロ>の存在が彼女の妄想にすぎないというもうひとつの可能性も浮かび上がってくる。二つの陰謀のいずれが真実なのか、それとも、かいま見た二つの陰謀の可能性が、いずれも単なる空想や幻覚のたぐいにすぎないのか、けっきょく判然とすることはない。
《手掛かり、予告、暗示などの記憶の寄せ集め》という信号の海に投げ出されたエディパは、複数の解釈可能性に宙吊りにされたまま、もはや、陰謀など考えることだにしなかった以前の日常世界に戻ることはできない。世界にあるものは、すでに燃えつきた《中心にある真実》を指し示す《信号》か、さもなければ《露出過度のための空白》のみと化す。この空白とは、《出口のなさ、人生に対する意外性の欠如》であり、同時に、レメディオス・バロの「大地のマントを刺繍する」と題された画において、乙女たちが紡ぐタペストリーが満たそうとする虚空そのものである。エディパは、魔法をかけられて塔の中で刺繍をさせられる乙女たちが描かれた絵画を目の前にして、《中心にある真実》、すなわち啓示の存在を認知はするが、それは彼女もまた塔の中で永続的に閉じこめられた女のひとりであることを確認するだけであって、塔の中から抜け出すすべが与えられるわけではない。

画のなかにはハート形の顔、大きな目、キラキラした金糸の髪の、きゃしゃな乙女たちがたくさんいて、円塔の最上階の部屋に囚われ、一種のタペストリーを刺繍している、そのタペストリーは横に細長く切り開かれた窓から虚空にこぼれ出て、その虚空を満たそうと叶わぬ努力をしているのだ。

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*1:レメディオス・バロ「大地のマントを刺繍する」